先輩パパ・ママの体験談


実際に体験した方のお話は何より助けになるかと思います。
よろしければ医療関係者・行政の方にも読んでいただき、私たちの想いも知っていただけると幸いです。

私たちも、たくさんの方の支えのおかげで毎日笑顔で過ごすことができるという感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。
みなさま、いつも本当にありがとうございます。


胎児診断

胎児診断された時

・毎日泣いていた。
・産婦人科の先生によって、先天性横隔膜ヘルニアに対する知識やイメージが違い、説明内容が全然違う。
・中立的な立場で丁寧に説明してくださる先生に救われた。
・とても悩んだが、自分が納得いくまで色々な病院を受診し、たくさんの先生の説明や意見を聞き、納得して決断できた。
・先天性横隔膜ヘルニアに関する情報が少なく、子どもがどのように成長するのか見通しがわからず不安だった。
・家族に心配をかけたくないので、病気のことは言わなかった。
・家族から出産に反対され、孤独だった。
(ご家族のご心配・苦しみも相当なものと思いますが、この時期のご家族の対応・サポートはとても大切だと思います。)


先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会

入院中(良かったこと・嬉しかったこと)

・昔は助からなかった病気でも、先生やたくさんの看護師さんたちに命を救ってもらえたこと。

・自分がずっと一緒にいられなくても病院の看護師さんやスタッフさんが愛情を注いでみんなにかわいがってもらえたこと。

・病院だと医療的ケアもあたりまえだし、特別視されない。
・NICUのことをインターネットで事前に調べていたので、部屋の暗さやモニター音などに対して心の準備ができた。
(事前に生まれてからお世話になる病棟を見学できる病院もあります。パンフレットでの説明という病院もあります。)
・心配なことが減ったり、必要な治療が減ったとき。
・主治医の先生や看護師さんが、自分の不安に寄り添ってくださり、しっかり検査などして対応してくださったことがありがたかった。
・主治医の先生が、子どもの病気のことだけでなく、「お父さんに似てますね。」など子ども自身のことを話してくださったこと。

・家族や友人がポジティブな言葉をかけてくれたとき。


先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会

入院中(大変だったこと・辛かったこと)

・毎日毎日心配ばかりの日々で気が休まることがなかった。
・毎日面会前は不安で泣いていた。

・毎日面会ぎりぎりの時間まで病院にいるので、帰りはくたくた。

・面会から帰る時、「明日は面会に来られますか?」「次はいつ面会に来られますか?」と聞かれるのがプレッシャーだった。
・気分転換するとバチがあたるような気がしていたが、もっと気分転換すれば良かった。
・子どもかモニターのどちらかをみている状態だったが、モニターの意味がわからず、警告音がなりひびいてもすぐ対応してもらえないときは心配だった。
モニター解説のコーナーをご覧ください。)
・子どもの状態が心配でも、忙しそうなスタッフの方に気を遣って聞けないことがあった。
(私たちはたった一つのことを質問するのもすごく勇気をだしています。)
・病院併設の宿泊施設から面会に通うこともあり、費用が必要だった。
(例:A大学病院3000円、B大学病院1300円、C母子センター1500円)

・医療費以外の費用がかかり、経済的に厳しかった。
(例:オムツ代。持ち込める病院と1日単位で料金がかかる病院があります。料金も幅広く、1日1000円の病院もあります。)

・常に搾乳の時間を気にしていて家と病院だけの生活だった。
・搾乳パック代もかなり高かった。
・上の子どもとの時間をとれず、さみしい思いをさせた。


先先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会 授乳

搾乳について

・入院中のわが子に自分ができる数少ないことの一つだった。
・母乳のみにこだわる必要は全くないのが頭ではわかっていたが、こだわっていたように思う。
・母乳がとまらないように夜も3時間おきに起きてしぼるのが大変だった。何度も寝過ごした。
・搾乳や授乳についての情報が少なく、自分でインターネットで情報収集した。
・需要と供給のバランスがあわず、せっかく絞った搾乳を捨てられてしまったときは辛かった。(その時の看護師さんの優しい声かけで救われたこともあります。)

・せっかくしぼって持っていった母乳パックの中身が溶けていて破棄しないといけなかったのは落ち込んだ。(暑い日は気をつけてください!)
・搾乳室に「おかあさん、いつも母乳をしぼってくれてありがとう」という紙が貼ってあり、その言葉にいつも励まされていた。

・外出先の授乳室で順番を待っている親子がいるとき、いつも部屋をでて譲っていたが、肩身がせまかった。
・外出時に授乳室で搾乳することは精神的に辛くてできなかった。

・退院後、こどもを抱っこしながらの搾乳は無理だったので、こどもが寝た隙にしていたが、常に時間に追われていた。

・家族に、「搾乳までする必要ある?」と言われ落ち込んだ。

・最後の搾乳は未だ捨てられない。

・搾乳パックの保存専用の冷凍庫を購入したくらい、大切だった。


(便利グッズについてはグッズ紹介をご覧ください。)


先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会

退院後の生活(安心できること・嬉しかったこと)

・訪問医と一緒に薬剤師さんが来るので薬や栄養剤、点滴用水などの配達もしてもらっている。

・24時間対応の訪問看護さんなので、いつでも相談にのってもらえる。
(注:事業所により対応時間や休日料金などは異なります。)
・病院に、退院後の生活を相談できる部署があり、近所の小児科や市内の大きな病院への紹介状を書いてもらえ、訪問看護さんも紹介してくれた。
・実家が近くて祖母がかわいがってくれる。
・家族全員で家で過ごせる、こどもの成長を自分がずっと近くで見守れるというあたりまえのことが幸せ。
・外出先で温かい笑顔や言葉をかけてもらえたとき。
・状態が安定して、近場でも一緒にお出かけできるようになったとき。
・保育園に入れず落ち込んでいた時、訪問看護さんが味方になって共感してくれたこと。


先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会

退院後の生活(大変なこと・心配なこと)

・実家は近いので手伝いはしてもらえるが、医療的ケアがあり怖いので預かることはできないといわれる。
・医療的ケアがあるので、どんなに大変な時も用事の時も全て自分でみなければいけない。
・医療的ケアがある子は自宅で親が面倒をみて当然と思われていること。
・医療的ケアで一番しんどいときにあずけられる場所がなかった。

・合併症のことなどもあり、複数の科に通院する場合は通院が頻回になることも。
・少し風邪をひくと入院になり、付き添いの食事や面会の交通費など出費が多い。病気があるので保険に入れない。
(持病があっても入れる保険には、coop共済J1900があります。詳しくはhttp://coopkyosai.coop/thinking/chronic/j1900.htmlをご覧ください。)
・先天性横隔膜ヘルニアに関連して調子が悪い時はもとの病院でみてもらえるが、風邪など感染症にかかった場合はみてもらえない。
(大きな病院では免疫が下がっているお子さんが入院されていることもあるため、感染症の場合は別の病院を受診するように言われることもあります。)
・外出先で注入中にジロジロみられたのはとてもしんどかった。
・入院中は使い捨てだった注入ボトルやチューブを消毒して繰り返し使わなければならず、大変だった。
・消毒で寝る時間も削られるので、自費ででインターネットで注入ボトルやチューブを購入し、夜間は使い捨てにしていたが、かなり費用がかかった。
・入院中に使用していた注入ボトルやチューブと、外来でもらえる物品の種類が違い、ボトルとチューブの接続が外れやすくて使いにくかった。
・病院では一日中サチュレーションモニターをつけていたが、家に帰ると活動範囲も広がりよく動くようになり、すぐ外れたり、全然数値をひろえなくなるので日中はすぐにやめてしまった。
・眠すぎてアラームが鳴っていても子どもの様子を確認できないことや、朝起きるとセンサーが外れていたことがあった。


先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会

就園・就学について

・呼吸器があるので全て断られている。呼吸器をつけているが他に障害はないにも関わらず、小学校にも(普通学校)入れるかわからないといわれている。
・医療的ケアがあるときは一時保育は利用できなかった。(栄養のチューブが抜けても良かったらいいですよ、といわれた。)療育園は軽症だから入れないと断られた。今は療育に通っている。
・在宅酸素をしている時、市の一時保育に利用をお願いしたことがあったが、「無理です」と。支援センターでも相談すると「保育園無理ですね。」とあっさり言われた。
・自分の通院の際に日中一次支援(医療福祉制度をご覧ください)を利用している。市に相談した時は紹介してもらえなかったが、社会福祉協議会に聞くとその制度を教えてくれた。
(一か所ではなく、色々な機関に相談してみるのも良いかもしれません。行政の方にはできるだけ多くの引き出しをもっていてくださると心強いです。)
・「前例がないので・・」というのはよく言われる。

・保育園に入ってからのことも心配。医療ケアははずれても、注意してみてもらいことがあるので、伝え方に悩む。
・保育園に通っているが、酸素必要時(喘息や感染で)は病児保育は使用できない。
・保育園には細かくこのような状態になったら電話してくださいという内容を記載してお渡ししている。(呼吸が早い、なんだか普段と違う・・・など)